システムエンジニアが就職活動から鬱になるまで

      2017/01/05

今回は僕の過去に基づいたお話です。タイトルの通り、いちシステムエンジニアの生涯を赤裸々に綴ります。

年末年始に忘年会や新年会で何年ぶりかに会う友人がおり、頻繁に仕事の話で盛り上がりました。特に僕は抑うつ状態を経験するようなキャリアを辿っているので、学生時代の無邪気な僕を知っている人からすると驚愕してしまうみたいです(笑)

正社員として現場で働いていたのは4年前になるので、現在の環境は多少なり良くなっているかもしれませんし、逆に悪くなっている可能性も否めませんが、IT業界の実態を自らの経験に基づいて記述していきます。

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インターンで「IT土方」の存在を実感する

僕が学生の頃は既にITバブルが崩壊していたものの「パソコンが使えれば仕事に困らない」「ITはまだまだ稼げる」と言われていました。実際に僕もそれを信じて情報処理の専門学校へ進学しましたし、周りからもそれが良い選択だと教えられていました。

実際に就職活動をしてみると、東京のIT企業は田舎と比べて給料の水準が高くオフィスも綺麗なので、業界に魅力を感じ「自分の進んできた道は間違ってなかった」と実感を得るですが、この実感はインターンを機に崩れ去ります。

僕がインターンを経験したのは銀座に所在する某IT企業で、比較的に新しい企業でした。社員の平均年齢も若く初任給で25万円と、他のIT企業に比べて給与も高めです。

最初は温かく迎えられ、軽いタスクから徐々に専門性の高いタスクへと移行していくにつれ自分のスキルが向上していくのを実感できましたし、当時の社員からも飲み込みが早いとほのめかされていました。

拭えない疑問

順調に自分のタスクをこなしてった僕ですが、どうしても拭えない疑問がありました。

誰ひとり定時で帰らない。

学生とはいえ、日本で働くということは多少なり残業とも付き合っていくものとは捉えていました。しかし定時を過ぎても社員同士でダラダラと会話していて、とても業務をしているようには思えません。

そして興味本位で遅くまで残業をしてみたのですが、会社が借りているビルのシャッターが閉まるまで誰ひとり帰らないのです。

この会社は何かがヤバい、入社したら人生が狂うとしか思えませんでした。

あとあと調べてみると労働基準法に反しているのですが、25万円という高い給与は、みなし残業を含めた金額で超過分の残業代は支払われないという仕組みでした。

超過分の残業代が支払われないなら早く帰ればいいのにと思っていたのですが、社長が頻繁に怒鳴っては無理やり社員を頷かせるような人だったので「みなし残業代分、きっちり働け!」とでも言われていたのでしょうね。

ちなみに僕はこの企業に入社しなかったのですが、インターンから3年後には事業撤退していました。

残業しなければ稼げないIT業界

インターン終了後、僕は渋谷に所在する某IT企業へと就職します。どっしりと自社ビルを構え、そこら辺でも名前を見かける中小企業なので、そりゃあ家族友人も盛大に祝ってくれました。

初任給は16万円と、東京のIT企業にしては低めの水準ではありますが、募集人数も多く就職に不利な専門学生でも新卒採用してくれる言わば「誰でもウェルカム」な企業です。

ちなみにこの時点で、この企業は「就職活動が上手くいかず路頭に迷っている学生達の墓場」であることは薄々と感じていました。しかし、若く精力のある僕は、自分次第でどうにでもなるだろうと自信満々で入社を決めます。

入社してみて1年は専門学校卒という経歴とスキルを活かし、難なく業務をこなしていきます。稀に残業することもありましたが、残業なんてスキルが無い人の最終手段だと肝に銘じ、なるべくゆとりを持ってタスクをこなすよう心がけていました。

期待できない昇給

入社してから1年半が経過し、3回目の昇給を迎えます。入社してから1年間の昇給は大して期待できないと分かっていたのですが、3回目の昇給は同期の誰にも負けたくない気持ちで、同期の誰よりもタスクをこなしてきたので、内心そんな貪欲な自分を評価して欲しいと思いながら面談へ向かいます。

しかし、実際の昇給率は0.1%という中小企業の平均から見てもかなり低い数字でした。

面談してくれた上司は配属時からお世話になっており、タスクが積もった時でもプライベートを気に掛けてくれる、まさに上司の鑑のような方でした。実際に昇給率を決めたのはこの方ではないと知っていたので、少し控えめに「給料ってどうしたら上がるんですか?」と聞いてみることに。

返ってきた答えは「昇給はほとんど期待できないから、残業するしかない」でした。

できれば尊敬する上司から聞きたくなかった言葉ですね、トラウマものです。それなりに仲が良い上司だったので自身の給料明細を見せてもらえたのですが、基本給は僕と大差ありまえんでした。5年も務めて稼ぐ方法は『残業』です。未来に希望なんてありません。

インターンの時に感じた疑問は、IT業界全体に蔓延する事実なんだな、と実感しました。

急な環境の変化から抑うつ状態へ

昇給が決まって間もなく、今までお世話になっていた上司と別の現場で作業することになります。

新しい現場までは家から約2時間の通勤時間を必要とし、今まで30分~1時間かけて通勤していた僕にとって非常に長い通勤時間でした。追い打ちをかけるかの如く、通勤時間や経路が変わったことによって、ほぼ毎日が満員電車との戦いになったのです。

環境の変化によって、今まで苦痛と感じていなかった日常の大半が苦痛と感じるようになり、日々神経をすり減らされるようになります。

更に新規プロジェクトのキックオフから間もないタイミングで転属した為、自分の置かれている状況が直ぐに把握できず、かつ他のメンバーも自分の役割が転々とし困惑している状態がしばらく続きました。

そんな足元がおぼつかない状態で、営業に無理やり組まれた進捗表と戦っていくので、日々の残業量は今までの比になりません。ひたすらにタスクをこなしても、工数が足りずに他メンバーのタスクが自分に回ってきてしまうのです。

急な通勤時間と残業時間の増加によって今まで最低でも8時間は確保していた睡眠時間が2時間まで激減します。最初は若さで乗り切れると信じていましたが、睡眠不足によって頭は回らなくなり業務は停滞し、徐々に遅刻の回数も増えていきました。どうしても寝る時間が欲しい時はご飯を食べずに寝ます。

そしてこの生活を1ヶ月ほど続けたある日の朝、

家から出られなくなりました。

それは突然やってきたのです。

「玄関を開けようにも腕に力が入らない」「脚が玄関から一歩も外に出せない」といった金縛りのように身体の動きが止まってしまう症状に見舞われました。

そして数分後、現実と将来の恐怖で頭がいっぱいになり、泣きじゃくります。成人したそこそこの大人が、です。それはもう泣きました。外に出たら知らない人の顔を見ただけでも泣きそうになるほど。あと、いくつかの家具も壊したような気がします。

症状が落ち着いてきたタイミングで察しました。これは鬱だ、と。

こんにちは心療内科

幸い夕方には症状が軽くなったので、平静を保てる間に心療内科へ連絡し診察してもらいました。中には心療内科に抵抗のある人がいて、自分が鬱だと信じたくないという頑な人もいるみたいですが、案外あっさりと受け入れられる自分に今でも感謝しています。

診断の結果は抑うつ状態。様々なストレスによって日常生活に支障をきたす状態です。

現在こそ回復していますが、抑うつ状態になる前の元気や精力はどこかへ飛んでいきましたし、また同じ症状を繰り返すのではないかと考えると、無理な労働も強いられたくありません。

鬱なんて自分には縁の無い病状だと思っていましたが、鬱は突然やってきます。そして、おそらく未経験者の想像以上に闘病生活は苦しいです。

よく「鬱は甘え」なんて言葉を聞きますが、鬱は脳の病気(認知症とかと同じ)に該当するので、この苦しさは経験した人でないと理解できないと思います。経験しないに越したことはないんですけどね。

ちなみに、心療内科から「回復したよ、もうオッケーだよ♪」と言ってもらうまで、半年を要しました。

さいごに

今でも「Dopeyはパソコン出来るからいいよな。仕事に困らないべ」なんて言われますが、あまり喜ばしい言葉ではないです。褒めてくれる気持ちは嬉しいんですけどね。

実際にパソコンをイジれたとしても、IT業界はプライベートを犠牲にしなければ裕福にはなれません。国際的に見ても、日本のエンジニアの収入は低いです。

電通の件を機に労働基準監督署の活動が積極化したので、IT業界においても労働環境が改善されると嬉しいのですが、まだまだ時間が掛かりそうですね。

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